津軽当物駄菓子とは?

津軽地方には、昔から、「当物(あてもの)」と呼ばれるくじ駄菓子がありました。糸を引くものや、閻魔大王が描かれたくじ台紙(「当て紙」と呼ばれていました)を使う物がありました。この当て紙を使って、最初に流行たのが「生菓子」のくじ駄菓子で、「大王当て」と呼ばれるようになったようです。太宰治の小説「津軽」にも出てくる「地獄絵図」は子供の道徳として広く伝えられてきました。

その閻魔様が決めるくじの「当たり、はずれ」。ごまかしを許さない閻魔大王。また、子供は、何でも買える(?)親がうらやましく、その親をも裁くのが閻魔大王。そんな感覚から、子・親・大王のくじ札が生まれたと考えられています。そのくじ台紙はいまだに1枚1枚全て手張りで仕上げております。現在製造している当物駄菓子は、当て紙を使う「大王当て(練切・生菓子)」と「イモ当て(餡ドーナツ)」、ひもを引く「糸引(黒糖菓子)」の3種類です。



  • 大王当て

  • イモ当て

  • 糸引

津軽当物駄菓子の全盛期

この津軽当物駄菓子の全盛期は、団塊の世代が子供だった昭和30年代で、10円玉を握り締め、甘いお菓子を求め駄菓子屋さんに走ったようです。弘前周辺でも、製造するお菓子屋さんは5件以上あり、いろいろな形の大王や糸引を作り、競い合っていたようです。そんな中、「金箔付の鯉の生姜糖当て」や「アメアメ当て(きな粉棒)」も作られ流行りました。

くじ紙にも様々な変化が現れ、閻魔大王マークから干支に変えた物やキャラクター物、特賞を加えたり、1等~5等に変えたり等々。しかし、次第に衰えていったようです。昭和40年頃になると、製造元は私どもしか無くなりました。そんな中、「イモ当て」の開発に成功し、販路を弘前周辺だけでなく青森市まで広げ、経営を続けることが出来ました。しかし、青森市で売れるのは「イモ当て」だけで、「大王当て」は売れませんでした。青森市には「あん玉」が有ったからです。あん玉は小豆のこし餡を丸めた生菓子で、当て紙を使わず、それ自体を手で割って「当たり、はずれ」を楽しむもので、青森市特有の当物です。そんな訳で、いまだに「弘前は大王、青森はあん玉。イモは両市で」人気があります。ちなみに、私どももあん玉を何度か作った事がありますが、弘前ではほとんど売れませんでした。その後、くじを引ける駄菓子屋さんがどんどん減っていく中、徐々に正月を中心に箱買いが増えていきました。

津軽の伝統をつなげてゆきたい!

「大王のイモくじ、知ってますか?」と尋ねると、「子供の頃、よくやりましたよ!」とか「正月はいつも家族でやってます!」とよく答えが返ってきます。これからも津軽の伝統をつなげてゆきたいと心から思う瞬間です。昭和27年に創業以来、津軽に戦前から伝わるくじ付き駄菓子「大王当て」や「糸引」、「生姜糖」を今も手づくりで作っております。

今日では看板商品の一つとなった「イモ当て(いもくじ)」を加え、津軽の庶民の文化とも言える「当物駄菓子」の伝統と味を守り続けて参りました。子供や孫のいる家庭で、帰省者を迎えた家族や友人で、「故郷の子供時代を懐かしむお菓子」として一家団欒、和気藹々に楽しんで頂けるようになりました。今日では、お盆・お正月に無くてはならない定番のお菓子になり、皆を楽しませております。

今後は、この津軽当物駄菓子を後世につなげてゆく事を第一の使命とし、その為にも時代に即したお菓子の開発にも力を注いで参る所存でございます。何卒ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

製造所のご案内

佐藤製菓
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